タイミングを逃す

タイミングを逃す、ということがしばしばある。
ありがとうの一言をつい忘れてしまったり、ちょっと勇気を出せば気になる人と少し話せるというのに時間だけが経過してしまったりなどなど。
そんなとき悔やまれるというほどではないが、少し心残りになる。
そういうちょっとしたノイズは時が経てば次第に記憶から薄れていき、やがてきれいさっぱり気にならなくなるものだ。
でも、完全に忘れてしまうわけではなく何かのきっかけに不意に思い出し、あのときはちょっと惜しいことをしたかなあと後々振り返るケースもある。
過去の記憶を振り返ろうとするとき、そのとき感じたことを正確に再現することは難しい。


そういうわけで、細々とメモを取っている。
Twitterやこのブログ自体は公開用のメモのようなものだ。

Twitterだと気楽な反面、少し文章量が物足りない場合もある。

そんなときはブログの出番だ。
書く作業は結構骨が折れるので苦手意識もあるが、後から読み返すと当時の鮮度を感じ取れることがあり、それがなかなか面白い。

また、非公開のメモとしては、仕事や生活の中で考えたこと、株のやり方などいろんなジャンルのテキストファイルをPCに保存し、適当に管理している。

 

このブログのネタ用のメモというのも存在し、気が向いたときに書いている。
先ほど久々にブログ用のメモを見返したところ、どうやら前回の更新は2020年3月29日のようだった。
メモの抜粋を放流してみよう。

 

・これから何をしてどうありたいのか
会社員生活が早2年経過し、3年目が始まろうとしている。
この2年間は慣れないことばかりで毎日忙しくしていた。
平日は会社の労働で精一杯で、休日は平日の疲れを回復することに努めている。

将来のことを考えるのは難しい。
実際に何が起きるのかを予想することは人間にとって本当に難しい。
かつて希望を失う状態に陥ってから将来のことについて考えるのはあえて避けていた。
大学院を去ってからこの2年間で

転職サイトを眺めてみる。
ふと、研究開発をしたいのか

ありがとうや好きですを言えるときにいいたい。
あのとき、少しでも声をかけていれば、と思うときがしばしばある。
もちろん、余計なことを言わずに済んだというメリットもあるのだが、そろそろ次のステップに進みたい。

 

ここでメモが終わっている。

生活用のメモでは大体上記のような内容を書き連ねることはよくあるが、ブログ用のメモに書いていた点が少し意外だった。
何か意図があったのかもしれないが、散文的で残念ながら思い出せない。
まとめるのを保留したまま、月日が流れてしまったのだろう。

…これは、あれだ。

タイミングを逃した、というやつである。