銭湯生活のススメ

寮の風呂環境について

寮には大浴場があり、50人程度の寮生が使用する。
シャワーの口は5つあり、浴槽は3~4畳程度の大きさ。
浴槽に6人入ればかなり窮屈。
時間は18:00から24:00の6時間。

これは重要事項なのだが、時間外にはシャワーからお湯の供給がなくなり、水シャワーとなる。
脱衣所は8人程度分のスペースしかなく、入浴時間の終了がせまると、
置き場所がなくなり、床に着替えを置くことになる。

入浴後、当番制で寮生が浴場の掃除をする。
これまた重要事項なのだが、掃除忘れがあった場合、翌日のお風呂は稼働しないというルールだ。
今にして考えてみれば、かなり制約が強い風呂環境だった。

銭湯100円ディ

さらに寮の風呂は2週間に1回の頻度で日曜日に稼働しない。
というのも、近所の銭湯が2週間に1度、100円で利用できるためだ。
その日は寮の風呂の代わりに銭湯へ行く。
ちなみに通常価格は450円くらいだったと記憶している。
100円ディに感謝だ。

銭湯に入ると左手に傘入れが、右手および正面に下駄箱入れがある。
男子は入って左側、女子は右側で固定だ。
シャワーは8口×4列の32口くらい。
浴槽は、ワイン風呂、電気風呂、普通の風呂、熱い風呂の4種類ある。
さらに水風呂があったり、座らず浴びれるシャワーが2口あったりする。
また、100円ディの制限からなのか、サウナはいつも使用禁止。
実際の銭湯の規模としては、小規模だろうが、寮の風呂とは雲泥の差である。

銭湯の100円ディは生活の楽しみだった。
電気風呂ではなかなか得られない感覚があり、好んでいた。

大抵、Rさんと共に銭湯を楽しむ。
夜9時ごろにどちらともなく部屋に行き、集合だ。

 

さて、銭湯の風呂は温度が高いため、入浴後はかなり火照る。
夏場や時には冬場もアイスを買って食べるのが最高だった。
正直、夏場はアイスを食べても十分な涼をとることができないのだが。。
Rさんと他愛もない話をしながら、近くのコンビニ100円ローソンに行って
アイスを厳選し、食べながら帰るというパターン。
まさに青春の一ページといったところか。

まとめ

寮の風呂環境およびよく通っていた銭湯についてまとめた。

時々銭湯に行こうかしらと思うときもあるが、なんやかんや行けていないですネ。。

寮の食堂

寮の食堂について

寮では朝夜の食事が月火水木金土の6日間支給される。
朝の部は7時~9時まで、夜の部は18時~21時まで。
メニュー予定が張り出されており、あらかじめ食堂の食事カードに丸を付けて食事を予約する。
予約した食事の数だけお金が徴収される。
朝は200円くらい、夜は400円くらいの価格だ。
外出の予定があったり、メニューが好ましくなければ食事カードにバツ印を付けておくこともできる。
そのようにして食堂の収支が管理されていた。
食料や出費の無駄が少なくなるように考えられたシステムだなあと思う。

予約を忘れてしまったら食事のやりくりを考えなくてはならないのだが。。

そんな時でも、夜の20時40分くらいに食堂のおじさんにお願いすればご飯を提供してもらえる場合がある。
食事予約をしたが、実際には別の予定が入って食べに来ない、という寮生も一定数いるからだ。

本日の食事の消費状況によっては何とかご飯を食べられる場合もあるので、ちょっとした裏技だ。

まあ、遅くまで待ちきれなくて近所の牛丼屋やお弁当屋で済ませるのが現実的な選択肢だが。

虫の出没

食堂には冷房があるが、夏真っ盛りの時期ではないと稼働しない。
東京の6月や9月は冷房を付けるほどではない暑さがあり、
そんなときは窓を開けて涼をとる。
食堂は明るいため虫が集まって来やすい。
もちろん網戸があるため虫対策が万全、のはずだ。
しかしながら、老朽化により網戸に大きめの穴が開いていて
そこから虫が食堂内に出没することがたまにあった。

蚊やコバエなら、仕方がないと黙認するが、
大きな羽音を立てたハチのような虫が食堂にいたことがあった。
ブンブンと危険な音を立てており、部屋の隅っこに立往生していた。
虫がこちらにこないかどうか、気になる。
虫の姿を直視するのも何だか気持ち悪くてできない。
非常に食べにくい・・・
そして早くこの場から立ち去りたい。
ということでよく味合わないまま早食いをする日もあった。

電子レンジ

寮では食事が週に6日間支給されるが、日曜日は食事が出ない。
寮生40~50人分の調理は一人のおじさんが担当している。
つまりおじさんの休日は日曜日だけなのである。

まあ、平日の昼間はフリーなのかもしれないが、勤務時間が朝と夜に集中しているためなかなか大変そうだった。

日曜日の食事問題に寮生の誰しもが対面する。

寮は火気厳禁のため部屋で調理するというのは基本的にアウトだ。
また、寮生が調理場をちょっと使用する、ということもできない。

調理器具として有望なものは、食堂の電子レンジくらいだ。

また、電気ケトルを買って部屋でお湯を沸かすこともできる。
小さい冷蔵庫を部屋に置くという手段も可能だ。

近所のコンビニで冷凍食品を買って食堂の電子レンジを使用する、という
方針を私はよくとっていた。

Rさんと共にふらりとコンビニに赴いた日々を懐かしく感じる。

まとめ

寮の食堂事情についてまとめてみた。

時間の制約があったり、食事予約を忘れたり、虫が出たり、などと難儀する場面もあったが、総合的に考えるとかなり助かっていた。

寮で過ごした4年間は食堂のおじさんに支えられていたといっても過言ではない。

おじさんに感謝・・・!

菓子パン生活のススメ

お昼ご飯の話

駒場に通っていた当時、経済的な息苦しさが続いていた。

家庭の経済事情のため大学進学を断念しようと考えていた時期があったが、そのときの申し訳なさから何となくお金を使うことに対して強く抑制がかかってしまう。

朝と夜ご飯は寮で支給されるため非常にありがたい。

朝夜合わせて、1日600円くらい。
あらかじめ予定表に丸印を入れておいた日数分だけ月末に一括で徴収される。
逆に言えば、予定表が空欄の場合、支給されない。

朝と夜は寮でご飯をいただけるが、昼は大学近傍で済ますことになる。

できる限り昼ごはんに経費を割きたくないと考えていた。

食堂では300円くらいで簡素なカレーを食べることができる。

具の提供に関してほとんど見込みがないようなちょっと残念なカレーだ。
毎日このカレーというのも好ましくない。

しかし、カレー以外となれば、なんだかんだで500円くらいの出費が必要になる。

さらに、昼の食堂の込み具合は尋常ではない。

食堂で食べる以外に、生協で食品を買うという選択肢もあった。

100円の菓子パンx2+税金(5%)の210円セット。

私はこれに行きついた。

菓子パン生活

コッペパン、メロンパンにはかなり助けられた。

いろんな味があり、その日の気分で選択できるのが良い。

一つ目のパンを食べきった後、二つ目のパンを食べるという方針ではなく、
両方を同時進行で食べる方針をとっていた。
パンを交互に食べる姿を見た友人に不思議な食べ方だと称されたこともあったが気にしない、気にしない。

お昼時は生協も非常に混雑するが、いったん外に出てしまえば好きな場所で食べることができる。

キャンパス内にはところどころベンチがあり、そこに腰を下ろして昼食をとる。

外でパンを食べていると、たまに知らない人に声をかけられることがある。
そういう人たちは十中八九、宗教の勧誘を目的としている。
大学生風の格好をしているが、恐らく守衛さんの目を誤魔化すための工夫であり、実際は大学生ではないだろう。

こういうトラップに気を付けたい。

冬の寒い時期には外で食べるのはしんどいので、講義室で食べる。

このような菓子パン生活をしていたため「春のパン祭り」の時期にシールがよくたまったものだ。
シールの台紙3枚分くらいを一度に生協の人に渡して驚かれつつお皿をもらったのはいい思い出だ。
まあ、寮では調理器具を寮生が使用できなかったのでお皿がたくさんあってもしょうがない。
冷凍ピラフなどを電子レンジで調理のにお皿は一枚あれば事足りるため、Rさんや他の寮生に提供していた。

当時は飲み物をどうしていたのかあまり記憶がないが、今と同様にペットボトルに水道水を入れるなどしていたのかもしれない。

まとめ

駒場に通っていた当時、資金不足のため菓子パン生活に努めていた。

今にして考えてみればなかなか険しい食生活だった。

大学院生あたりになったころから昼食代に関する抑圧はほとんどなくなった。

まあ、結果的に体調が悪くならなくてよかったが、バランスの良い食生活を。

無邪気なエゴ

お久しぶり!

東京大学に入学してから早くも一年が経った4月ごろ、キャンパス内で見たことのあるような顔の人に遭遇した。
相手の方も似たような反応を示している。
なんと、小学校時代の同級生であるNさんだった。

Nさんは一浪してから東京大学に進学することになったらしい。
私もNさんも地元は同じだったが、中学高校は別々だったため非常に懐かしい気持ちになった。

それに浪人中は私と同じ高校に通っていた友人とも交流していたらしい。
これは驚いた。
浪人していたかつての仲間たちもそれぞれ希望の大学へ進学できたようで安心した。

しばらく近況についてお話した後、連絡先を交換した。

「困ったことがあれば何でも聞いてくださいな」

そう声をかけた。
慣れない環境に不安を感じているかもしれないNさんの力になれるかもしれない。
そう思いながらもその日は解散した。

教科書をください!

数日後、Nさんからメールが届いた。

どうやら講義用の教科書を購入しようとしているらしい。
そこで、私がもう使わない教科書はあるのかを尋ねてきた。
必修科目の教科書は改訂されることはあまりないので先輩からもらい受けるというのはよくある話だ。
私は快く引き受けた。
あんまり人から頼られることを知らなかったので少し嬉しかった。

後日、教科書をいくつか持っていき、Nさんに見せてみた。
所望のものがあったようでいくつか提供した。

「また何かあれば連絡ください」と言って解散。

友達に売ろうと思います!

後日、Nさんからメールが再び届いた。

とある教科書を欲しているらしい。
先日、既に購入済みだと言っていた教科書だった。
なぜだろうか?と思いつつも、とりあえずNさんの言う通り持っていった。

「はい、どうぞ」と教科書を渡す。
気になっていたので、なぜ教科書が必要になったのかを尋ねてみた。
Nさんは「友達に売るため」と。
「ああそういうことね」と少しモヤモヤしつつも納得して解散した。

この一件を寮の友人Rさんに話してみたところ、Rさんは怒った。
「Nさんのエゴじゃねえか?君に利益はあったのか?」と言われた。
確かにそうだ。

Nさんに悪意がなかったというのは確からしいことだと感じた。
しかし、Nさんの行動や発言は私に対して何かしらの配慮があっただろうか。
無邪気なエゴをはっきりと認識できた時だった。

まとめ

人間の無邪気なエゴとの遭遇について述べた。
今、振り返ってみればそういうものを感じ取ることがそれまでなかった自我の無さがちょっとほほえましい。
この件以来、Nさんとは特に交流はない。
向こうから連絡もないし、こちらから連絡もしない。
悪い奴ではないんだが…という典型例なのだと思う。

サークル

大学ではテニスサークルに所属していた。

中学時代はソフトテニス部、高校時代は硬式テニス部に所属していた。
唯一できるスポーツがテニスなのだ。
また、運動神経は良くないので新たに競技を始める器用さは皆無なので。

サークルをきっかけに良き友に出会えたのは本当にありがたいことである。

テニスがしたいです・・・

東京大学に入学してから2ヶ月ほど経った6月の中旬、「そういえば運動していないな・・・」ということに気付いた。
生活の変化に対応して落ち着いてきたころ、久しぶりにテニスでもしたい気持ちになっていた。
しかし今更サークルに入会するのも気が引けた。

サークルの新入生勧誘活動が活発になる新入生歓迎期間は4月に終了していた。
今更ノコノコ現れた新入生を迎え入れてくれるのだろうか、という不安が先行する。
人付き合いに苦手意識がある。

それにテニスサークルってなんかチャラそうなイメージだ。
飲み会とかあると面倒な気がするな。そもそも本当にサークルに入る必要があるのか。

うーん、やっぱり止めておこうかな。

サークルのビラを漁る、探す、見つける

・・・いや、でも諦めるのはまだ早い。もうちょっと粘ってみよう。

入学早々に配布されたサークルのビラをとりあえず見よう。
そう思い直し重い腰を上げる。
4月の始め、入学手続きの後にサークルのビラ一式、ざっと見て300枚はあろうかという紙束を渡された。

あの紙束をどこへやったのかと狭い部屋を探る。あったあった。
しかしまあ、よくもこんなに沢山。
新入生約3,000人に毎年配布しているのか。サークル、恐るべし。

などと考え事をしながらビラをかき分ける。
そしてテニスと書かれていたものを抽出するのに専念する。

・・・30分後

いろいろ目移りしながらも5枚くらいテニスサークルのビラを見つけた。
他にもまだあったが、キラキラしてそうなところや飲み会ばかりやるところはとりあえず避けた。

さて、どれにするかなあ。おっと、入会時期が5月までじゃん・・・

そして2択になった。その1枚。明らかに異彩を放ったビラ。

「飲みなし、女子なし、人少なし」

まさかその三拍子を押してくるとは・・・!

テニスをするサークルへ

ビラの山から発掘したこの一枚の紙きれに一瞬で惹かれた。

緊張しながら新入生勧誘担当の方にメールを送る。
後日、サークル活動にお邪魔することになった。

テニスコート駒場キャンパスの西側に位置する学内のコートだ。
学内だからテニスコートの使用料金がかからないため経済的である。
それに電車代もかからないのも嬉しい。

当日、緊張しながらテニスコートへ。

わらわらとテニスをしている人々が遠目に見える。
ゆっくりと階段を下りてテニスコートの扉を開けた。

まとめ

テニスサークルに所属した経緯について述べた。

ちょっとだけ勇気を出すと意外な発見がある、という教訓を得た。

今では人生、こういう偶然の連続なのが面白いところだと思う。

大学の講義

高校から大学に進学して一番の変化は、やはり講義を自分で選択できるようになったことである。
都内の高校では授業が選択制のところもあるらしいが、個人的にとても新鮮な経験だったので記す。

時間割作り

駒場キャンパスでの講義は必修と選択科目があり、時間割をある程度は自分の好きなように決めることができる。
もちろん取得単位数との相談なのだが、週休3日にすることも夢ではない。
自ら選択できるゆとりがあるのは新鮮だ。

心を躍らせながらシラバスのページをめくっていた。
時間割作りは楽しい時間だ。
なんやかんや20コマ程度埋めてしまう。

週休3日どころではないが、ずっと連続して講義が入っている訳ではなく、ちょっと虫食いされたみたいな空きコマが愛おしい。

履修登録の締め切りをうっかり見送ってしまうことには気を付けたい。

いざ講義へ

大学の講義ではどんなことが学べるのかという期待。

果たしてついていけるのだろうかという不安。

そんな思いが混ざりながら、いざ講義へ。

 

講義は大体12回くらいで、成績評価方法は講義ごとに異なる。
試験やレポートで評価する場合が多いのだが、一定日数出席すれば単位取得が可能な講義もあった。
出席するだけで取得できる講義はお得感があり、個人的には好んで選択していた。

しかしながら、この「出席するだけ」という条件に対して高いハードルを感じる学生が意外といて、そういう人もいるのだなあと発見があった。

 

また、講義に真面目に出席するが、それで満足してしまい受けっぱなしになる人もいた。
・・・まあ、私のことなのですけどねえ。他にもいたはず。

あんまり講義内容をかみ砕いていないため試験前やレポート提出前には火の車。

そうやって講義で学んだことを分かっていければいいんだろうけど、そんな都合の良いことは残念ながらありませんでしたねえ。

毎日コツコツが一番なのだとネガティブフィードバックな学びがありました。

試験対策戦略

必修の科目はほとんどが試験による評価であり、単位を落としてしまうと翌年に再履修、もしくは留年ということになりかねない。
うーん、恐ろしい。
できるだけそういう事態は避けたいものだ。

そのため学生側は何かしら集団的に試験対策を講じるのである。
そのような試験対策システムが既に確立されていた。

私の在学時には「シケタイ制度」や「U-Taisaku Web」に大変お世話になりました。

・シケタイ制度

各講義に試験対策委員を配置する制度。
試験対策委員は「シケタイ」と呼ばれる。
「シケタイ」の目的は講義を受講している人のために情報共有することである。
講義で公開された試験範囲の情報やレポートの締め切り、配布資料などを把握して、情報を発信する。
また、講義ノートを共有したり、過去問が手に入る場合は過去問の解答を作成したりするのも重要な任務である。

しかしながら「シケタイ」は善意に基づく行為であるため、情報の正確性や機能するか否かについては保障されていないのが実情である。

・「U-Taisaku Web」

当時の履修システム「U-Task Web」からインスパイアされたような名称の過去問データベースサイト。
講義を受けた先人たちが過去問をアップロードして成り立っていた。
過去問をさかのぼってみれば、ほとんど同じ試験問題、というケースがちらほら見受けられた。
講師側としては毎年違う問題を作成するのは大変ですよね。
先人たちの知恵を借り、対策を立てる。
大学1、2年生のころは頻繁にお世話になったが、今はもうほとんど機能していないみたいだ。

まとめ

今回は講義の話について、時間割作りから試験対策まで概観した。
思い入れがあるからかついつい長くなってしまった。

時間割作りに関係してシラバスの他に「逆評定」という非公式の冊子を活用していたのだが、これはまた別の記事でまとめようと思う。

最後に・・・日々の鍛錬は本当に大事なことだ。

学生寮生活

大学1年~4年まで学生寮に暮らしていた。
初めて親元を離れる生活は慣れないこと不便なことが多く、困惑することもあったが、楽しくもあった。

学生寮を選んだ理由

東京大学進学に伴い地元を離れて上京することになった。
東京で暮らすのは家賃や生活費などお金がかかる。
実家の経済状況はなかなか教えてもらえなかったが結構貧しかったらしい。

実際、高校三年生で進路を決める際に、経済的理由から実家から通えない大学の受験を反対されてしまった。

でもそんな状況を打破してくれたのが学生寮である。
当時、高校の担任教師が学生寮の存在を教えてくれた。

経済的困難を乗り越えるため学生寮を選んだ。

学生寮の概要

閑静な住宅街に位置する古びた4階建。
入寮資格として、地元出身の学生であることが条件のいわゆる「県人寮」である。
そのため東京大学に限らず、他の大学に通う学生も入寮している。

部屋は2種類あり、3畳部屋と6畳部屋と呼ばれていた。
昔はすべての部屋が3畳部屋タイプだったようだ。
というのも、6畳部屋は隣り合った3畳部屋の壁を取り払った構造になっている。
つまり6畳部屋には扉が2つあるのだ。

寮生は大体40~50人。

風呂トイレは共用。

部屋に空調はないため夏は暑く冬は寒い。

食堂では朝ご飯と夜ご飯が提供される。

門限はない。

ルールと言えば

  1. 風呂掃除当
  2. 異性を連れ込んでお泊りしない
  3. マージャンをしない

という3点だ。
入寮時に寮長から明確に説明された。
ちなみに寮長は夫婦で寮の一角に住んでいる。

3畳部屋での暮らし

入寮当初、3畳部屋で生活していた。
6畳部屋はそんなに多くないため大抵は上級生に割り振られる。

部屋に布団、小さいテーブル、カラーボックスを置いたらもうおしまい。
一応収納スペースがあり、各部屋にタンスがあった。

3畳部屋は確かに狭いかもしれないが実は奥が深い。

3畳部屋と言いつつも入口スペースや出窓スペースを含めると実際は4畳半の広さがある。

入口スペースとは寮内用の内履きを脱ぐためのスペースだ。
また、入口スペースの隣には唯一の備え付けの家具であるタンスが鎮座している。
これらが1畳くらいある。

窓は扉とは反対側の面に位置しており、出窓スペースが半畳ほどある。

衣類などはタンスに収納するわけだが、タンスの上や出窓にはコップや歯ブラシなどちょっとしたものを置くのに最適であり、重宝していた。

部屋の中で動き回ることはできないが、一人部屋であるためプライベートが保たれるのは大きな利点だと思う。

それに寂しくなったらすぐ近くに人がいるのは結構ありがたいことだったのだと思う。

仲のいい寮生の部屋を行き来したり、一緒にご飯を食べたり、風呂に入ったりする生活をエンジョイしていた。

3畳の部屋に5~6人で集まってギャグアニメを見て笑い合うという経験はなかなか貴重な時間だったのではないかと今にして思う。

まとめ 

学生寮生活について概観した。
学生寮は今でも思い入れの深い施設であり、そこでの生活は人生において最も印象的な部類に属すると思う。
学生寮に関する記事は今後も更新予定。