無邪気なエゴ

お久しぶり!

東京大学に入学してから早くも一年が経った4月ごろ、キャンパス内で見たことのあるような顔の人に遭遇した。
相手の方も似たような反応を示している。
なんと、小学校時代の同級生であるNさんだった。

Nさんは一浪してから東京大学に進学することになったらしい。
私もNさんも地元は同じだったが、中学高校は別々だったため非常に懐かしい気持ちになった。

それに浪人中は私と同じ高校に通っていた友人とも交流していたらしい。
これは驚いた。
浪人していたかつての仲間たちもそれぞれ希望の大学へ進学できたようで安心した。

しばらく近況についてお話した後、連絡先を交換した。

「困ったことがあれば何でも聞いてくださいな」

そう声をかけた。
慣れない環境に不安を感じているかもしれないNさんの力になれるかもしれない。
そう思いながらもその日は解散した。

教科書をください!

数日後、Nさんからメールが届いた。

どうやら講義用の教科書を購入しようとしているらしい。
そこで、私がもう使わない教科書はあるのかを尋ねてきた。
必修科目の教科書は改訂されることはあまりないので先輩からもらい受けるというのはよくある話だ。
私は快く引き受けた。
あんまり人から頼られることを知らなかったので少し嬉しかった。

後日、教科書をいくつか持っていき、Nさんに見せてみた。
所望のものがあったようでいくつか提供した。

「また何かあれば連絡ください」と言って解散。

友達に売ろうと思います!

後日、Nさんからメールが再び届いた。

とある教科書を欲しているらしい。
先日、既に購入済みだと言っていた教科書だった。
なぜだろうか?と思いつつも、とりあえずNさんの言う通り持っていった。

「はい、どうぞ」と教科書を渡す。
気になっていたので、なぜ教科書が必要になったのかを尋ねてみた。
Nさんは「友達に売るため」と。
「ああそういうことね」と少しモヤモヤしつつも納得して解散した。

この一件を寮の友人Rさんに話してみたところ、Rさんは怒った。
「Nさんのエゴじゃねえか?君に利益はあったのか?」と言われた。
確かにそうだ。

Nさんに悪意がなかったというのは確からしいことだと感じた。
しかし、Nさんの行動や発言は私に対して何かしらの配慮があっただろうか。
無邪気なエゴをはっきりと認識できた時だった。

まとめ

人間の無邪気なエゴとの遭遇について述べた。
今、振り返ってみればそういうものを感じ取ることがそれまでなかった自我の無さがちょっとほほえましい。
この件以来、Nさんとは特に交流はない。
向こうから連絡もないし、こちらから連絡もしない。
悪い奴ではないんだが…という典型例なのだと思う。